イギリスの作曲家フィリップ・スパークが毎年のようにリリースしている吹奏楽作品集の2013年の最新アルバムです。
2012年から2013年にかけて出版、もしくは出版予定の新しい吹奏楽曲から、日本のバンドが取り上げやすいグレードが4から6、演奏時間が7分半から組曲で21分までの6曲が集められています。
タイトル曲の「神話と幻獣」は、イギリスのグラスゴー吹奏楽団創立40周年を記念して委嘱されたもので、2012年に作曲され、その年の6月9日にグラスゴーの王立スコットランド音楽院で初演されました。作曲の委嘱を受けて当初は夜空の星座にそのアイデアを求めていたスパークは、星座の物語の基になったギリシャ神話に思いを至らせ、ギリシャ神話に登場する怪物や不思議な生き物をテーマに3曲からなる組曲にまとめました。いずれもギリシャ神話の中でも比較的よく知られたもので、物語をご存知の方も多いでしょう。
第1曲は「ヒュドラ退治」。9つの頭を持つヒュドラは1本の首を切り落としてもそこから新しい2本の首が生えてくるという怪物で、その血には強力な毒がありました。ヘラクレスはヒュドラを退治するために甥のイオラオスの助けを得て、ヘラクレスが首を切り落とすとイオラオスが切り口を焼き焦がして新しい首が生えてこないようにし、最後に残った不死の首を岩の下敷きにして退治しました。退治されたヒュドラはうみへび座になりました。曲はグロテスクなヒュドラが這うようなフレーズで始まり、次々に登場する二重奏は新たに生えてくる2本の首を表しています。ヘラクレスの剣捌きが金管楽器で表され、ヒュドラがゆっくりと死んでいくように曲も終わります。
第2曲は「カッシオペイアの自慢」。自慢好きのエチオピア王妃カッシオペイアは自分が海の女神よりも美しいと自慢したため、海神ポセイドンの怒りを買い、エチオピア王国はポセイドンが遣わした海獣ケートスにより大災害がもたらされました。神託でケートスへの生贄に娘のアンドロメダを差し出さなければならなくなり、アンドロメダを海岸に鎖で縛って置き去りにしました。アンドロメダは後に勇者ペルセウスによって助けられました。カッシオペイアは死後、天に上げられてカシオペヤ座になりましたが、ポセイドンの怒りによって海の下に降りて休息することが許されず、北の空に輝くカシオペヤ座は水平線の下に沈むことはありません。いかがわしさを漂わせるアルトサクソフォーンのソロはカッシオペイアを表し、中間部ではアンドロメダを助けたペルセウスが描かれています。曲はいすに縛り付けられ永遠に夜空を回るカッシオペイアを示すような不思議な終結を迎えます。
第3曲は「オリオンと天を翔るペガサス」。オリオンは、海神ポセイドンの息子で背の高い美青年で、力のある猟師でした。また、ペルセウスがアンドロメダを救ったときに乗っていたのが天馬ペガサスです。スパークは神話としては直接関係のない2つの星座を結びつけ、勇敢な狩人であるオリオンを表す金管楽器の6/8拍子のファンファーレと、空を翔るペガサスのリズミカルな旋律を組み合わせて壮大なフィナーレとしました。
サブタイトルのアウトレージは乱暴や狼藉などを意味しますが、作曲者によると神話の物語そのものからは離れて自由に音楽を展開してしまったことからこのサブタイトルを付けたということです。楽器の用法にもこれまでのスパークらしいサウンドにまた新たな色彩が加わっており、作曲家としての成熟度の高さを見せる作品と言えるでしょう。
オランダの教育・文化・科学省が設立したクンストファクトルは、アマチュアの芸術活動を支援することを目的とした組織で、吹奏楽やブラスバンドの分野では、新しい作品の委嘱や古典的な吹奏楽のオリジナル曲を現代の編成用に改訂して蘇らせる活動を行っています。そのクンストファクトルが2011年のオランダ・ナショナル・ブラスバンド選手権大会の第4部門の課題曲としてスパークに委嘱して生まれたのが「エヴォリューション」で、ここに収録されている吹奏楽版への改編にあたって副題として付けられていた「五行」をそのタイトルにしました。スパークはこれまでにも東洋思想に題材を求めており、同じコンクールの2003年の課題曲として仏教思想の四聖諦をテーマに「四つの真理」を作曲しています。
古代中国の五行思想は「木は燃えて火になり、火が燃えて残った灰は土に還り、土からは金属が産出され、金属は解けて液体(水)になり、水は木を育む」という木火土金水の5つの元素とその循環を説いており、色や方角、感情などあらゆる物事を5つの状態の変化と捉えています。スパークは、人間の怒り・喜び・沈思・悲しみ・恐れの5つの心の動きも五行で表されることに興味を覚え、5つの要素を循環させるというアイデアでこの曲を作曲しました。とは言うものの、スパーク・サウンドの魅力に満ちたこの曲、スパークが感じた五行思想にまで思いを巡らせるもよし、小難しい理屈は抜きにして純粋にその響きを楽しむもよし。ちなみに、2011年のオランダ・ナショナル・ブラスバンド選手権大会の第3部門の課題曲として委嘱されたのがヨハン・デ・メイの「シンフォニエッタ第1番」で、こちらも作曲者の手で吹奏楽版が作られています。
1956年から始まったトールシップ・レースは毎年ヨーロッパ各地を転戦する大型帆船の競争で、2011年のレースではスコットランド中部の西岸に位置するクライド湾とクライド川に接するインヴァークライド・カウンシル・エリアの中心地グリーノックがそのコースに含まれました。グリーノックにあるインヴァークライド・スクールズ・ウィンド・オーケストラのための作曲の委嘱を受けたスパークは、大型帆船の威容や輝く大海原での悠々とした航海、あるいはそこで歌われるシー・シャンティ(海の歌、水夫の歌)をイメージしてこの曲を作曲しました。保護者会とインヴァークライド音楽サービスの資金援助を受けて指揮者デイヴィッド・ハッチンソンの委嘱で書かれ、2011年3月31日にグリーノック・タウンホールで初演されています。
アメリカ・ネヴァダ州ラス・ヴェガスのクラーク郡学区委嘱プロジェクトの委嘱で作曲され、2012年1月にアメリカ海兵隊バンドの元指揮者ジョン・ブージョアの指揮で初演された「天と地が揺れ動くとき」には、「ガブリエル・フォーレに基づく独創主題による協奏変奏曲」というサブタイトルが付けられています。フォーレの有名な「レクイエム」の中の「我を救いたまえ」の14小節の旋律を基にしたオリジナルの主題と4つの変奏として書かれています。曲のタイトルは元の旋律の歌詞から取られており、高音木管楽器をフィーチャーした第1変奏、サクソフォーンと低音木管楽器をフィーチャーしたワルツ風の第2変奏、金管楽器と打楽器によるコラール風の第3変奏、そしてフルバンドによる第4変奏という構成になっています。
アメリカの第二の国歌とも言える「アメリカ・ザ・ビューティフル」は、アメリカの大自然を称える穏やかな愛国歌で、スパークはその歌詞から「何と美しい、広大な空よ」「太平洋から大西洋へ」「深紅の山々の威容よ」の3節をそのままタイトルに付けた3曲からなる「空、川、湖、そして山に」を作曲しました。2012年に北カリフォルニア吹奏楽指導者協会が創立50周年を迎えるのを記念して委嘱されたもので、2月4日にカリフォルニア州チコのカリフォルニア州立大学チコ校ハーレン・アダムズ劇場でロイス・トレヴィス指揮する2012年度選抜バンドにより初演されました。アメリカの自然の美しさを見事に描いた作品です。
ベートーヴェンの交響曲第9番の歌詞にもなった「歓喜に寄せて」が特に有名なドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーが1800年に発表した「鐘の歌」は、400行を超えるシラーの代表作の一つで、鐘作りの親方が職人に指示や注意をする部分と親方が人生について語る部分が交互に現れるように書かれています。オーストリア・インスブルックのヴィルテン市音楽団の委嘱で作曲された「鐘の歌」はシラーの詩にインスピレーションを得ており、「人生の喜び」「警鐘を鳴らせ」「旅の終わり」と題した続けて演奏される3つの部分からなります。誕生からさまざまな苦難を経て死に至るまでの人の一生を鐘の音に託しており、曲の要所要所で鳴らされる鐘がとても印象的です。ちなみに2012年4月1日にペーター・コストナーの指揮でこの曲を初演したヴィルテン市音楽団は2000年に創立350周年を迎えており、そのときにスパークに委嘱して作曲されたのが「ヴィルテン祝典序曲」です。
演奏は「大型帆船での航海」と「空、川、湖、そして山に」が作曲家としても活躍するトーマス・ドスの指揮によるライプツィヒ放送吹奏楽団、「神話と幻獣」がクリストフ・シャイブリング中佐の指揮によるドイツ連邦軍音楽隊、その他がハンス・レーンデルスの指揮によるオランダ王立陸軍“ヨハン・ヴィレム・フリソ”軍楽隊です。いずれもドイツやオランダを代表し、デ・ハスケなどの録音を通して世界中に知られているプロの吹奏楽団で、単なる参考演奏にとどまらない魅力的な演奏を聞かせてくれています。
収録曲の楽譜は、すべてアングロ・ミュージックから出版されており、販売元のデ・ハスケを通してお取り寄せできます。コンサートのプログラムやコンクールの自由曲にもうってつけの曲が見つかるのではないでしょうか。
(2013.10)
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